著者:ロバート・C・チャンピ(Robert C. Ciampi)
実存的不安
実存的不安は、人間が世界の中で思考し、感じ、行動する能力や人生への愛を感じる力を欠いていること、そして存在しないかもしれないという可能性や死への恐れからも生じます。この恐れは孤独や疎外感を引き起こし、ときに極度の恐怖をも伴います。
心理学者のカール・ユングや哲学者のジャン=ポール・サルトルも、実存的不安について類似の考えを持っていました。彼らは、内的資源を発展させ、自由を創造的に行使し、自己欺瞞を乗り越えることで、意味のある存在を追求すべきだと述べています。つまり、実存的不安を抱える人々は、自分の人生に目的がないと感じ、人生から見放されたと信じているのです。
「人生とは何か?」 「なぜ自分はここにいるのか?」 「自分の目的は何か?」 「私の人生には意味があるのか?」 そして「私は誰なのか?」といった問いを抱いたことはありませんか?これらの問いは、古代から哲学者や神学者、心理学者、霊的探求者など多くの人々によって探求されてきました。
人生には未解決の問いがあふれています。そして、「未知」を恐れる人々と同じように、人生の最も難しい問いへの答えが見つからないことは、不安を引き起こします。
私たちの脳は完全なイメージや思考を好むため、何かが不完全だと感じると、その「隙間」を埋めようとします。明確で確信の持てる答えが得られない場合、脳はそれを補完するために独自の答えを作り出すことがあります。不安を抱える人々にとって、これが不快な考えを生み出す原因となることもあります。未来が不明確だと、災難が起きると想像してしまい、結果的に不安がさらに高まるのです。
マインドフルネスの力
マインドフルネスは、「今この瞬間」に集中することを教えてくれます。過去にも未来にもとらわれず、現在にフォーカスするのです。現在に集中することで、不快な出来事が起きたときにも対処できる力が生まれます。
多くの人は、過去の出来事に後悔を感じたり、「もし〜だったら」という未来を心配したりして生きています。一方で、未知を恐れる人々は、人生をコントロールできないという感覚に悩まされ、大きな不安を抱えることもあります。時には、自分自身を見失い、他人が自分の人生を導いてくれるべきだと考える人さえいます。
目的を見つける旅
私はかつて、人生に意味があるのかを探し、自分一人でこの問いに向き合っているように感じていました。ただ流されるように日々を過ごし、何かが起きるのを待つだけでは、満足できないと悟りました。
セラピーを通じて学んだことの一つは、「変わらないことの痛みが変化そのものの痛みを上回ったとき、人は前に進むことができる」ということです。この言葉は真実であり、今でも心に刻んでいます。
セラピーに来る人々の動機はさまざまです。仕事や家庭の問題、満足できない結婚生活や子育ての悩みを話すために来る人もいれば、不安やうつ病、その他の障害についての助けを求める人もいます。また、自分自身や家族の依存症、親や兄弟との問題を話し合うために来る人もいます。
そして、今回のテーマである「人生の意味や目的の欠如、自分とは誰なのかという疑問」に取り組むために来る人もいます。
人生の意味を見つける方法
人生に意味や目的があるのか、そして自分自身を完全に理解できるのかは、さまざまな視点から捉えることができます。「なぜここにいるのか?」 「人生の目的は何か?」という問いに取り組むのは、時に困難で圧倒されるように感じられるかもしれません。しかし、こうした問いを「身近な目的」として小さく分けて考えると、答えを見つけやすくなることもあります。
例えば、子どもを育てることに人生の目的を見出す人もいれば、愛する伴侶として生きること、良き子どもや兄弟として生きることに意味を見出す人もいます。また、宗教や信仰を通じて人生の目的を見つける人もいます。教師は生徒を教育することに、医療従事者は人々を助けることに使命を感じています。
人生の意味は、一人ひとり異なる形で存在します。自分自身の目的を見つけるためには、恐れを乗り越え、新たな経験に踏み出すことが必要なのです。
私たち一人ひとりが人生の目的を見つける責任を持つべきだと私は考えています。そのためには、自分自身の内面を深く見つめ、そこにいる「自分」を探し出すための内省が必要です。
ある人に、「人生の意味は何だと思いますか?」と聞かれたことがあります。その人がなぜ私に答えを求めたのかは分かりませんが、少し考えた後、こう答えました。「人生の意味とは、自分自身の旅を通してその意味を探求することだと思います。」
この答えは、満足のいくものではないかもしれません。しかし、それが個々人に必要な責任を課すことにつながると私は信じています。一方で、このプロセスにおいて孤独を感じる人もいるかもしれません。
自分の目的が分からないことが引き起こす不安
私たちが自分の考え方、行動、感情に責任を持つことは、多くの場合、不安を引き起こします。さらに、その不安を突き詰めていくと、最終的には多くの人々が最も恐れること、つまり「死」に行き着きます。
以下は、それについての一連の質問と答えです:
- 質問:「あなたは誰ですか?」
- 答え:「分かりません。」
- 質問:「自分が誰か分からないことについて、何が一番怖いですか?」
- 答え:「自分の内面にいる人を知らないことが怖いです。」
- 質問:「では、自分の内面にいる人を知ることができないとしたらどうなりますか?」
- 答え:「自分が何を望んでいるのか分からなくなるかもしれません。」
- 質問:「もし自分が何を望んでいるか分からないとしたら、それはどんな問題を引き起こしますか?」
- 答え:「どうやって人生を生きていけばいいのか分からなくなります。」
- 質問:「どうやって人生を生きればいいのか分からないとしたら、それは何が問題ですか?」
- 答え:「毎日何もしないで部屋に閉じこもるしかないでしょう。」
- 質問:「もし毎日部屋に閉じこもり何もしないとしたら、それは何を意味しますか?」
- 答え:「人生を生きていないということになり、最終的には死に至るでしょう。」
このように、自分の目的を知らないことは、死への恐怖につながることがあります。この場合、その人の考えや感情は初めの質問をはるかに超えて先走ってしまっています。存在や目的、意味に関する未解決の疑問が、不安や死への恐怖として心の奥底で鳴り続けることがあります。
これでは、人生を生きるのが辛くなるばかりです。この章で取り上げたような疑問に苦しむ人もいれば、それらに思いを巡らす余裕さえないほど忙しい人もいます。実際には、未知への恐怖や究極の目的を知らないことが、その人の人生の可能性を妨げてしまう場合があります。
しかし、セラピストは、存在的な不安を抱える人が自分の価値を見出し、人生を生きる意味を見つける手助けをすることができます。すべての答えが見つからないとしても、例えばチョコレートのアイスクリームを食べる瞬間に人生の目的や意味を感じることもあるでしょう。それが人生の大きな謎を解くことにはならなくても、その時はそれで十分かもしれません。
人生をピンボールマシンに例えると
私は人生をどう捉えるかについて、自分の考えを伝えるのに適した場を探していました。そして、ここがその例えを共有するのに良い場所だと思います:
人生はピンボールマシンのようなものです。ピンボールのように、私たちは人生に飛び込んでいき、どこへ向かうのか、どんな試練が待っているのか分かりません。ピンボールの私たちは、ある人や出来事という「バンパー」に出会うたびに新しい方向へと飛ばされます。そして次のバンパーに当たるたびに、また別の方向へと進みます。このように、私たちの未来は予測できませんが、すべての出会いや出来事が新しい、わくわくする方向へと導いてくれる可能性を秘めています。
ここで伝えたいのは、誰や何が私たちを変えたり、新しい道へ進ませたりするかは予測できないということです。しかし、道中で起きる変化を受け入れ、それぞれの「バンパー」が私たちの人生に大きな影響を与えうることを認識する準備をしておくべきだということです。
人生の意味とは、自分自身の旅を通してその意味を探求することだと思います。
ロバート・C・チャンピ
オリジナルの英語記事
Finding Your Way – by Robert C. Ciampi LCSW. https://www.psychologytoday.com/intl/blog/when-to-call-a-therapist/202005/existential-angst.
他の項目:
- パウロ・コエーリョ|残された30日間
- 現代社会における『人生の目的』探しが難しい理由
- メメント・モリ(Memento Mori)|人生の無常と正しい生き方を思い出させてくれるもの
一緒に学びませんか?