二人は、ハンス・ホルバインの絵画『墓の中の死せるキリスト』の前に立っている。
導入
この作品は、西洋美術史の中でもとりわけ強烈な印象を残す一枚として知られています。北方ルネサンスの写実性を極限まで突き詰めたその描写は、死をほとんど臨床的ともいえるほどに、容赦なく映し出しています。
石の棺の中に横たわるキリストが、等身大に近い視点で描かれ、見る者はまるでその場に立ち会っているかのような距離に置かれます。
そこには理想化された美しさはありません。
皮膚は青灰色へと変わり始め、手足や脇腹の傷は解剖学的な正確さで描かれています。死の現実が、そのままそこにあるのです。
さらに、この作品を特異なものにしているのは、「神性の不在」です。
天使も、嘆き悲しむ聖母も、復活を予感させる光も描かれていません。
この徹底した「現実」は、ドストエフスキーの小説『白痴』の中でも重要なモチーフとして扱われています。
作中でムイシュキン公爵は、この絵を見てこう語ります。
「この絵を見ていると、信仰を失ってしまう人もいるかもしれない」
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対話
ニーチェ:「これが、君の信仰を揺るがした絵か」
ドストエフスキー:「揺らいだのは、確信のほうだ」
ニーチェ:「なぜだ。ただの絵の具にすぎないだろう。そこまで素朴なのか」
ドストエフスキー:「たしかに、ただの絵の具だ。だからこそ正直なんだ。奇跡はない。ただひとつの問いだけがある――約束が何もないとしても、それでも慈悲を選ぶのか、と」
ニーチェ:「慈悲か。強くあれない者が使う言葉だな」
ドストエフスキー:「違う。それは、引き受ける強さの言葉だ」
ニーチェ:「何に対しての責任だ?沈黙する天に対してか」
ドストエフスキー:「目の前にいる人に対してだ。天が沈黙しているときこそ」
ニーチェ:「だから君を読むんだ。神のためじゃない。君の『正確さ』のために」
ドストエフスキー:「真実は、痛みを伴うものだから」
ニーチェ:「痛みこそ、唯一確かなものだ」
ドストエフスキー:「痛みそのものは安い。そのあと、どうするかは安くない」
ニーチェ:「では、なぜ慈悲なんだ。自分を清く保つためか?」
ドストエフスキー:「違う。清さを追い求めるのをやめるためだ。この混沌の中で、人であり続けるために」
ニーチェ:「もし慈悲が、君を小さくしてしまうとしたら?」
ドストエフスキー:「それは慈悲じゃない。礼儀正しいだけの恐れだ」
ニーチェ:「なら答えてくれ。この光景の前で、君は何を信じる?」
ドストエフスキー:「ここには、何ひとつ約束してくれるものはない。それがすべてだ」
ニーチェ:「それなら、なぜ自分自身を選ばない?」
ドストエフスキー:「選んでいる。思いやることのできる自分を。無関心を『自由』と呼ぶような自分ではなく」
ニーチェ:「もし『思いやり』そのものが幻想だったとしたら?」
ドストエフスキー:「それでもいい。それが自分の幻想であるなら、それでいい。何も約束されていないとしても、空っぽになることは選ばない。勝つからではなく、人であり続けるために、慈悲を選ぶ」

英語版の全文
英語版の全文はこちら: https://www.instagram.com/kopfkino.l/reel/DTyIagSEgjY/
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この世界に「ない」と感じるものは、本当は「ない」のではありません。それは、あなたが世界に与え、表現していくために、あなたの中に「ある」ものなのです。もしあなたが「この世界に愛がない」と感じるなら、あなたの内側にある愛を世界に表現してください。
由佐美加子|『世界にないものは、あなたの中にある』
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